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2008年2月23日

フェブラリーS

Keiba@niftyのコラムで、フェブラリーSの数値については触れました。

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2008年2月21日

いずれ、また

1月9日に47歳の若さで亡くなられた作家の月本裕さんのご自宅に、19日・火曜日、ようやく伺い、お線香を上げてきた。こちらは西宮に在住。毎週、収録のため、東京には行っているものの、雪の影響で変則日程になり、収録スケジュールもタイトになり、なかなか伺うことができなかった。今週は通常の火曜収録になり、その前に伺ったのである。

東京のど真ん中なのに、閑静な雰囲気。奥様の清美さんとも久しぶりにお会いした。思えば、ご夫婦と初めて会ったのは1992年2月29日・土曜日、つまり4年に1回しかやってこない日であった。自分は競馬暦で生きている。その日、どんなレースが行われたかを覚えているので、競馬ソフトで調べれば、いつだったかはすぐわかるのだ。

よく会ったのは90年代前半。その後、仲が悪くなったとかではもちろんなく、月本さんが競馬の仕事から離れてあまり会わなくなったが、ホームページは毎日見ていたし、またいつか接点があるだろうと楽しみにしていた。それは現実になり、昨年末、再び競馬の仕事に関わるようになった月本さんから、原稿を依頼して頂いた。喜んでお引き受けした。

清美さんと話しながら、月本さんと最後に会ったのはいつだったかということも思い出していた。これも正確に覚えている。1999年9月18日・土曜日。月本さんが武豊騎手の取材のため、阪神競馬場を訪れ、その取材後、阪急夙川駅で待ち合わせて、自分が気に入っていた行きつけの店へ夕食に招いたのだった。室(おむろ)というお店でご夫婦で経営されていたが、すでに引退され、そのお店はない。室を出て、お互い、まだ話し足りず、拙宅へ来て頂いた。途中で月本さんがゴソゴソと鞄の中を探し出した。聞くと、「携帯を先ほどのお店に忘れた」とのことで、再び室へ。夙川沿いを歩いていると、「ここからはもうわかりますから」とおっしゃるので、その後ろ姿を見送りつつ別れた。

月日の流れるのは早い。もうあれから8年以上たった。再び仕事で接触するようになったが、昨今はメールでやりとりするのが普通になって、電話も一度かけただけ。毎週、東京へ行っていたのにどうして会わなかったのかと悔やむばかりだった。ただ、お線香を上げ、遺影の笑顔を見ていると、自然と、「いずれ、また」と思ってしまった。次の人生で会いましょう。

月本さんのブログ、「ツキモトユタカ ノ マイニチ」は清美さんのお考えにより、このまま残されるそうです。2月18日付けで、清美さんのメッセージもアップされています。

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2008年2月 1日

門戸厄神へお参り

昨日は門戸厄神へお参りし、厄除けの特別祈祷をして頂いた。我が家の年頭、恒例の行事となっている。「年頭?もう2月やゾ」と突っ込まれるかもしれないが、正月の門戸厄神は大変混雑する。といって、あまりのんびりしていると、春になってしまうので、1月終わりか2月はじめに行くようにしている。考えてみれば、義父の命日でもあった。

関西エリア以外の方もご覧になっていると思うので、一応、ご説明すると、阪神競馬場のある仁川からふた駅、南寄りのところに門戸厄神はある(駅名もまさに門戸厄神。女子校のエリート、神戸女学院もこの駅の近く)。特別祈祷というのは、本堂に入り、直接お祓いをして頂く。厄年の頃から行くようになり、恒例となった。

それなりの年齢になってきたなと思うのは、食の好みがあっさり系になったとか、健康であることがトッププライオリティーになるとかが挙げられる。さらに、自分の感覚でいえば、お経を聞くのが心地よくなった。昨日も祈祷の最中、そうだった。

祈祷が終わると、1年間お世話になったお守りやお札を返し、新しいものを頂く。今年は数珠も買った。左手に付けると何だか落ち着く(もちろん、これで馬券が当たるようになるとか、不謹慎なことは考えていない)。1月11日付けでも述べたように、同年代とはいえ、敬意の念を抱きその仕事ぶりに注目していた月本裕さんが亡くなられ、人間の生死について数週間、一層考えたことも影響していたのだろう。

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